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闘病生活5-ありがとう :: 2006/05/21(Sun)


ムネノリが私の所にやってきたのは、1990年5月13日。
諸事情でベッドから起きあがれなかった私の所に、ムネノリは連れて来られた。
私が一人暮らしをしていた時だった。
それから半年後、動物病院の先生から生まれたてのメス猫(クッキー)を貰いうけ、1ヶ月後には今の家(実家)へ引っ越してきた。

最初こそ私の部屋から出ようとしなかったが、1Fで母と一緒にいた私の耳に”ドダドダドダ”と音が聞こえてきた。
階段の方を振り向いたら、ムネノリがびっくりしたような顔をして階段下にいた。
初めて階段を下りたムネノリは、あまりの勢いにびっくりしたのだろう。
それからは、階段を下りる事、各ドアの開け方を覚え、あっちの部屋こっちの部屋
しまいには人間でも結構な力がいるお店のサッシ型のドアまでも開けて外にまで出て行くようになった。
気がついたら、ムネノリは近所のボス猫になっていた。

ムネノリが生まれたのは、1990年3月末。
下さった方に聞いた所、もう4月になろうかとする3月31日の雨の降る寒い日、母猫と7匹の子猫が転がっていたのを拾って来たのだそう。
子猫2匹は、もうその時点で息は無く残り5匹が母親の母乳を飲み元気になってきた。

その頃、私は東長崎で一人暮らしを始め、朝刊のみ新聞を取るようにしていた。
小さい頃から動物を飼いたがっていたが、姉が喘息のため鳥類以外はダメと言われていた。
そんな矢先、新聞に「ネコ貰ってください」を見つけた。
早速、電話をすると5匹いるから見に来て下さい、と言って頂いたので世田谷・三宿まで足を運んだ。
大きな段ボールの中に、母ネコのお乳を飲む5匹の子猫がいた。
その中に、1匹だけ真っ白な子猫がいた。
「うちで飼うと白ネコちゃんは早く死んじゃうの。だから一番可愛いのよ。良かったらこの子を貰ってくれる?」
即決だった。
その場で名前は決まった。
雄猫の真っ白な子猫ちゃんは「宗典」と名付けられた。

2006年5月19日(金)、明け方4時過ぎ頃にリビングの電気を消してソファーでちょっとだけ横になった。
カリカリする音で目が覚め、ハッと飛び起きてムネノリの状態を確認する。
床に座布団を置き、その上にバスタオル・トイレシートを敷いて寝かせていたのに、少し位置がずれていた。
シートの上でおしっこをっしていたので、抱き上げてシートを変え元の位置に戻した。
その直後、奇妙な鳴き声をあげ始めた。

「ムネノリ?ムネ!どうしたの!どうした!?頑張れ」

普通では無いと思い、母を起こした。
ムネノリの息は荒い。
母と二人でムネノリに声を掛ける。
「お母さん、ムネを抱いてあげて!!!」
私の声で父も起きてきた。

そして、午前6時43分ー
ムネノリは母の腕の中で、家族全員に看取られ息を引き取った。
私はこの世で、2人のむねのりを失った。

身体を綺麗に拭いてあげ、ペット葬儀社へ連絡をする。
ムネノリは、アイスノンの上にバスタオルを巻いて寝かせてあげた。
クッキーは、ムネノリの傍を離れようとしなかった。
私も、ムネノリと離れたくなかったので、いわゆるお通夜の晩は、母の部屋でムネノリとクッキー4人で寝た。

葬儀社の人が迎えに来たのは、20日(土)の14時半過ぎ。
「赤ちゃんを抱くようにして」と言われたので、バスタオルでくるんで送迎車に母と乗り込む。
安らかな顔をして眠っているムネノリを見ると、本当は生きているんじゃないかと思う程。
お寺では、ペットでも個別火葬をしてくれる。
大好きだったご飯を周りに散らばせて、その中央にネコちゃんを置いて下さいと言われた。
私は泣きながら拒否した。
母は「ちゃんとしてあげないとダメよ」と泣きながら私を促した。

そして、火葬が始まると私は号泣し、母は嗚咽した。

ムネノリの魂も身体も神様の元へ旅立っていったのだ。

今、1匹残ったクッキーはムネが外に出ているんじゃないかと外ばかり気にしている。
それもいつかは、気にしなくなるかもしれない。

この16年間、その愛くるしい瞳・動作・鳴き声で私達家族に安らぎと幸せをもたらせてくれた。
人間の話を理解したりとても頭の良い子だったね。
ありがとう、宗典。
そして、生まれ変わったらまた逢おうね。
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